小学6年生の夏休みも始まったばかりだった。その日の多摩川は少し風が強く、水面に小波が立っていた。私と、一緒に行った友人のRはセルロイドの棒ウキを付けて釣りをしていた。波に揺られてアタリがとりづらかったが、それでもクチボソやヤマベがピクピクとウキを大きく引き込み、ハリに小魚をかけることができた。
当時の多摩川は今のように、黒く大きな鵜を見かけることはもちろん、ブラックバスなど名前すらも聞いたことがない魚だった。そのせいか小魚が多く、クチボソなどは少し撒きエをすると真っ黒な群になってしまうくらい寄ってきた。
風を気にしながら釣っていると、少し離れた土手に、黒いアタッシェケースを持ち濃い色の背広を腕に抱えて持った人が腰を下ろして、こちら見ていることに気が付いた。河原には不釣り合いな革靴を履いている。しばらくするとその革靴の人が近寄ってきて「坊や少し釣らせてくれないかな?」と聞いてきた。びっくりして「はい」と言って釣り竿とエサであるサシとミミズを渡すと、革靴の人はじーっとウキを見つめ、一生懸命釣っている。かなり釣りの心得があるようで、エサ付けから竿振りまで「うまいな」と思わせるほどだった。
革靴の人は私とRに話しかけるでもなく、ただひたすらウキを見つめ小魚を釣っていた。
小一時間も経っただろうか。革靴の人が「ありがとう」と言って竿を返してくれた。そして「よかったらレコードいらないかい?」といって重そうな黒いアタッシェケースを開けた。中にはいろいろなレコードが入っていた。その中で私の目に止まったのが「戦場の恋」というEP盤のレコードだった。その他にもレコードを2~3枚もらい、魚釣りに行ったのにレコードを持って帰ることになった。
私はテレビで放映される戦争ドラマが好きだった。「コンバット」や「頭上の敵機」などを楽しみに見ていた。その中でも、どこか戦争の哀しさをテーマにした「ギャラントメン」に惹かれていた。「戦場の恋」はジャケットがその「ギャラントメン」のオープニングの映像と同じだったので目に止まったのだった。
家に帰ってすぐにレコードプレーヤーに「戦場の恋」を載せてみた。するとそのレコードからは「ギャラントメン」のテーマソングが流れてきた。私はうれしくなり翌日、学校に持っていった。放送部に入っていた私は、放課後の放送当番がくるたびに「戦場の恋」をかけた。下校時間が迫り、生徒がいなくなった校庭に流れる「戦場の恋」はよりいっそう哀しげだった。
それから10年以上の時が経ち、私も世間ではサラリーマンと呼ばれる職業についていた。さまざまな社会経験を積みながら、人並みに苦労もした。
一心不乱にウキを見つめ、小魚を釣っていた革靴の人は、平日だったしスーツ姿だったので、レコード店回りに疲れ多摩川の川面を見に来たのだろう。革靴の人は釣っている間、楽しいというよりどこか哀しそうに釣っていた。水中に引き込まれるウキに、合わせをくれずに見つめていることもあった。
会社員になっても釣りを続けていた私は、仕事に疲れたときに知らず知らずのうちに革靴の人に自分の姿を重ね合わせていた。革靴の人が哀しそうに竿を振っていたときの姿を思い出すこともあった。革靴の人もかつては楽しく釣りをしたことがあっただろう。親しい友人と笑いながら竿を並べたこともあったかもしれない。
楽しい釣り、哀しい釣り、寂しい釣り、孤独な釣り。釣りに憑かれた釣り人は永遠に竿を振り続けなければならないのだろうか…。
【用語解説】
※アタリ 魚がエサを食べてウキが動くこと
※クチボソやヤマベ どちらも10~15cmぐらいの小魚
※コンバット ビック・モローが軍曹役をしていた人気ドラマ
※頭上の敵機 アメリカ軍の爆撃機B-17をテーマにしたドラマ
※EP盤のレコード 直径が17cmぐらい小型のレコード盤
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