へらぶな感想集

一期一会の自然の美しさ、一度しか会わないのに、いつまでも記憶に残る人々。 へらぶな釣りにはさまざまな出会いがあります。 へら鮒釣りや登山などの中で出会った、どうしても他の人に伝えたい出来事や、人物について記しておこうと思います。 登場する人物とはほとんどが一度だけの出会いですが、私の人生に潤いや彩、勇気や知恵を与えてくれた方ばかりです。 そんな方達への感謝を表す方法がなかなか見つからないので、感想集という形で精一杯の気持ちを書いてみることにしました。 ※昭和40年頃からの出来事です。 実際にあった出来事なので店名・船宿名などは、当時の実名で登場しています。 さしさわりのある場合の削除依頼などは、コメント欄からご連絡ください

2019年10月10日木曜日

【10】四国・府中ダムの釣り

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青春の迷い道に入ってしまった私は、5教科の追試を受けて、なんとか高校を卒業できた。 卒業延期という処分だったから、最後に一人だけ校長室で校長先生から直接卒業証書を手渡された。ある意味では、贅沢な卒業式だったとも言える。   卒業に苦労した理由は、何しろいろいろ...
2019年9月18日水曜日

【9】武者小路実篤さんと釣り

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中学生だったころの私は、それこそ「水癲癇(てんかん)」 ともいう状態だった。 とにかく水がある所ならどこにでも竿を持って行き、 ハリの付いたエサを投げ入れてみた。 近くにある学校の池や病院の池では、警備員さんに追いかけられ、 井の頭公園ではお巡りさんにしつこく説教さ...
2019年9月6日金曜日

【8】ギャラントメンの戦場の恋と多摩川

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小学6年生の夏休みも始まったばかりだった。その日の多摩川は少し風が強く、水面に小波が立っていた。私と、一緒に行った友人のRはセルロイドの棒ウキを付けて釣りをしていた。波に揺られてアタリがとりづらかったが、それでもクチボソやヤマベがピクピクとウキを大きく引き込み、ハリに小魚をかける...

【7】東大と河口湖

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小学生の時分から、釣りに夢中になっていた私は、中学生になっても相変わらず釣り竿を振り回していた。私の通っていた中学校は生徒数も多く、当時A組からH組までの8クラスがあった。当然教師の数も多かった。 教師の中で、とくに生徒達に恐れられていたのがО先生だった。数学を教えていたのだ...

【6】多摩川と画描き

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私は正月が来るとだいたい元旦には多摩川へ行ってみる。それは1年の釣りがいい年であるように祈願する意味もあるし、多摩川に感謝する意味も含めてだ。私は多摩川で釣りを覚え、多摩川でさまざまな事を学んだ。 なにかの釣りの本で読んだことを真似してカップ酒を多摩川に流す。本来なら釣れた魚...

【5】OK食堂のラーメン

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釣りを始めたばかりのころから、私には遠くへ行けば行くほど、きっとたくさん釣れるという思いこみのような物があった。見知らぬ場所で竿を振りたいというあこがれも人一倍強かった。 小学6年生のころには多摩川へよく通っていたが、いつもの「京王多摩川」ではなくもっと上流の多摩川へ行ってみ...

【4】野田奈川と「わかば」

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「乗っ込み」の季節になると、もうずいぶん昔の野田奈川での釣りを思い出す。3月に、ある釣り会にゲストで参加、初めて野田奈川に行った時のことだ。 その日は晴れてはいたが、どことなくまだ冬を引きずっているような感じの天気だった。初めての場所なので、下調べをして「オンドマリ」と呼ばれ...
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おきなぐさ
昭和の中頃世代です。最近は、体力気力が低下気味。
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