釣りを始めたばかりのころから、私には遠くへ行けば行くほど、きっとたくさん釣れるという思いこみのような物があった。見知らぬ場所で竿を振りたいというあこがれも人一倍強かった。
小学6年生のころには多摩川へよく通っていたが、いつもの「京王多摩川」ではなくもっと上流の多摩川へ行ってみたいと思ってた。「京王多摩川」で釣りをしているときに大人の釣り人が京王線の「中河原」で降りて多摩川に行くと、コイやフナがたくさん釣れると聞かされて、すぐにこの次は「中河原」に行ってみようと思ったのだった。
同じクラスのS高雄を誘って「中河原」へ無理矢理に連れていったのはそれからしばらくたってからだ。S高雄の家は世田谷の地主の系統で、比較的小遣いにも不自由しない同級生だった。高雄の名前の通り背は高いが、釣りのウデはいまひとつといったところだ。彼の家には父親が作った、釣った魚を入れるための大きな水槽があり、当時の私にはそれがうらやましくてしかたがなかった。
一番電車に乗り「中河原」へ行ったのは6月だった。朝からジメジメとした雨が降り、私と高雄は満足な雨具もないので電車の橋の下で雨を避けながら釣りをしていた。少し流れがあるので高雄はトウガラシウキ、私は真ブナ釣り用のシモリ仕掛けでエサを何回も打ち返していた。ところが水は濁り流れは速くなり「サシ」「練りエサ」「ミミズ」とエサをを替えてもアタリはまったくなかった。何時間たっても1匹の魚も釣ることができなかった。
数時間もそんな状態が続くと私も高雄もさすがに飽きてきたし、寒さでお腹が空いてきた。「なにか食べに行こう」と「中河原」の駅に食べ物屋を探しにいったのは9時前のことだった。
まだ開いていないラーメン屋の扉を2軒叩いてみたが、なんの反応もなかった。それでもめげない、世間を知らないお腹を空かせた小学6年生は、3軒目のラーメン屋のガラス戸を「すいません」と叩いていた。
「OK食堂」と看板が掛かっていた店だった。
少し時間があって店主らしき男がステテコ姿のまま「なんんだい」と出てきた。「すいませんラーメンできますか」と聞くと店主は笑いながら「少し時間がかかるけどな」といいながら「ちょっと待ってな」といって奥へ行き着替えて出てきた。店内はまだカウンターに安っぽいビニール貼りの丸いイスが、逆さに積み上がっている状態だった。店主はそのイスを降ろし「ほらここで待ってな」といって2人を座らせた。
雨に濡れた2人を見て店主が「そういうのを水も滴るいい男」っていうんだと、小学生には少し難しいダジャレをいいながら大きな鍋に湯を沸かし始めた。湯が沸くまで店主は「釣れたのか」とか「どこから来たんだ」とか、イスに座ってかしこまっている2人の気持ちを和らげるようにいろいろ話しかけてくれた。
「焼き豚がないからハムを乗せておいたよ」と言いながら、湯気を上げたラーメンが運ばれてくると、S高雄と2人で夢中になって麺を口に運んだ。店主はそんな2人の姿を笑いながら見ていた。帰る時には「焼き豚がなかったから」といって60円だか70円だかのラーメン代を10円づつオマケしてくれた。
最近では雑誌やテレビで、さまざまなラーメン屋の特集を見かける。たいていはどこのラーメン屋がおいしいかといった内容だ。ダシがどうだとか麺はこうだとか解説があり、店主がそれなりのうんちくを語る。たまには私が入ったことのある店が紹介されるときもある。私はそんな特集を見る度に「OK食堂」のラーメンを思い出す。
テレビや雑誌で紹介されているラーメンと比べたら、当時の「OK食堂」のラーメンはほんとに粗末なラーメンだったかもしれない。店の入り口もガラガラと音を立てる、曇りガラスの汚れた引き戸だった。しかし、私の記憶に残ったのはラーメンの味ではなく、「水も滴るいい男」のダジャレと丼から沸く湯気よりも暖かい店主の心だったのだ。
【用語解説】
※アタリ 魚がエサを食べてウキが動くこと
※真ブナ 金ブナや銀ブナのことで、釣り人がへら鮒と区別するために使う呼び名
※シモリ仕掛 フナの釣り方の種類。小さなウキがいくつも付いている
0 件のコメント:
コメントを投稿