2019年9月6日金曜日

【3】麦わら帽子のお婆さん

GWも過ぎた5月の中旬、私はいつものように多摩川に釣りにいった。中学3年だった私には、自転車で行ける範囲の多摩川や釣り堀が主な釣り場だった。いつの日か当時真剣に愛読していた釣りの雑誌によく紹介されている、横利根川や霞ヶ浦、相模湖などに行くことを夢見ていた。

その日の多摩川はよく晴れ、風もなく絶好の釣り日和だった。私は一升瓶を運ぶための木の箱に足を付けた自製の釣り用の台をなるべく前に出し、釣りを始めた。竿は自慢の最新式のグラスロッドの3.9mだ。

水深は1.5メートルほどしかないがよくウキが動き、へら鮒に混じって真ブナやコイが次々にハリに掛かってきた。

しばらく釣りをしていると、近くに麦わら帽子をかぶりモンペをはいたお婆さんが腰を下ろし釣りを始めた。50歳や60歳はとっくに過ぎているだろうと思われる日焼けした婆さんだ。相変わらず私のハリにはよく魚が掛かってくる。

それを見ている婆さんはさかんに私のことを「ぼうやはうまいなぁ」「ぼうやは本当にうまいなぁ」と、釣れる度にほめてくれる。そして「わしもこの前あそこでこんなでっけえコイを釣った」と、手ぶりを交え嬉しそうに自分のことを話してくれた。

昼ごろになると入漁料を集めに年輩の徴集人が来た。どうやら婆さんとは顔なじみのようだ。
「なんだ、お婆また来とるのか」
「どうだ今日は・・・」
「まだ釣れねえが、あのぼうやはうまいぞ」
「もういっぱい釣ってるぞ」
 と、私のことを嬉しそうにほめてくれた。
「わしは今日は金を払うぞ。」
「いいや この前もらったからいいよ・・・」
「いや、わしは払う!」
 と、言いいながら婆さんは小銭を出して徴集人に渡していた。

午後になっても私は釣れ続いた。しかし婆さんには1匹の魚も掛からない。ときたま婆さんの付けた大きなミミズを口一杯にほおばったクチボソが掛かるだけだ。婆さんはそれでも嬉しそうに釣りを続け、私が釣れる度に「ぼうやはうまい」と笑顔でほめてくれる。

そんな婆さんの笑顔を見ているうちに私はなんだか、だんだん悲しくなってきた。理由はわからないが、自分の釣りがひどく寂しい釣りに思えてきたのだ。

その頃の私はある意味では天狗になっていたのかもしれない。ゲスト参加だが70人ほどの大人たちの会で優勝し、大きなカップをもらったりもした。釣り具も竿はグラスだったが並継ぎの高級竿を使っていた。玉網は段巻の竹製でお年玉のほとんどを注ぎ込んで今年買ったばかりだった。ウキは千円を超える羽根ウキ。釣り用のバックは数万円もする赤いバックだった。

ところが、お婆さんの使っている釣り竿は200円くらいで買える安い竹竿。ウキも10円か15円程のセルロイドウキだ。それを見ているうちに、私は自分の持っている道具を自慢どころか、とても恥ずかしく感じた。私は、自分の買える範囲だが値段の高い釣り具を揃えるのに、一生懸命だったのだ。

私は祈った・・・
「お婆さんに釣れますように」
「お婆さんに早く釣れますように」
 もうなんだか泣きたいような気持ちで、祈った。

するとしばらくして婆さんに25センチくらいの真ブナがかかった。私は、玉網を持って婆さんのところにすっ飛んで行き真ブナをすくった。婆さんはたった1匹の真ブナだが、嬉しそうに引き具合を語ってくれた。そして、その魚を私にくれると言う。もちろん私も帰りにはフラシから放してしまうのだが、ありがたく魚をいただきフラシに入れた。

私の釣りはこの婆さんのお陰で、道具自慢や釣果自慢に向かわずにすんだ。たった一人で麦わら帽子をかぶり「ポチャン」と無心に竿を振る婆さん。その後、私もほんの一時期だけ釣りの会に所属したことがある。しかし、そこには私の釣りとは違う世界の釣りがあるだけだった。
私が婆さんのような笑顔で釣りをできるようになるのは、いつのことだろうか。<BR>

【用語解説】
※アタリ 魚がエサを食べてウキが動くこと
※羽根ウキ クジャクの羽根でできたへら鮒釣り用の高級なウキ
※フラシ 釣った魚を入れるための網。ビクともいう
※玉網 釣れた魚をすくうための網。竹製は高級品
※クチボソ イシモロコという10cmぐらいの小魚
※真ブナ 金ブナや銀ブナのことで、釣り人がへら鮒と区別するために使う呼び名
※へら鮒 フナの種類で50cmを超える大きさになる

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